乾燥地帯における水資源管理へのNbS(自然を活かした解決策)導入:生態系を活用したレジリエンス強化と政策・経済的インパクト
はじめに:乾燥地帯の水課題と新たなアプローチの必要性
乾燥地帯は、水資源の希少性に加え、気候変動による降雨パターンの変化や長期的な干ばつの影響を受けやすく、水資源管理は国家の存立に関わる喫緊の課題となっています。従来、この課題への対応は、ダム建設、長距離導水、大規模な淡水化プラントといった「灰色インフラ」に大きく依存してきました。これらの技術は水供給能力の向上に貢献する一方で、多大な初期投資、継続的な運用コスト、環境への影響、そして気候変動に対する脆弱性といった課題も抱えています。
このような背景から、近年、水資源管理において生態系の機能やプロセスを活用する「自然を活かした解決策(Nature-based Solutions; NbS)」への注目が高まっています。NbSは、森林、湿地、草原、健全な土壌といった自然資本の保全、回復、持続可能な管理を通じて、水関連の課題解決を目指すアプローチです。乾燥地帯においても、NbSは水供給の安定化、水質改善、土壌浸食抑制、地下水涵養促進など、従来のインフラだけでは対応が難しい多角的な効果をもたらす可能性を秘めています。本稿では、乾燥地帯における水資源管理へのNbS導入が、国家の政策決定や経済性にどのような影響を与えうるのか、そのポテンシャルと導入に向けた論点について考察します。
乾燥地帯における水資源管理へのNbSの貢献:多角的視点からの分析
NbSの具体的なアプローチと水資源への機能
乾燥地帯におけるNbSの具体的なアプローチとしては、以下のようなものが挙げられます。
- 流域上流部での植林・森林管理: 土壌への水の浸透を促進し、雨水の流出速度を緩和することで、渇水期でも河川流量をある程度維持し、土壌浸食を抑制します。
- 劣化した土地の回復・緑化: 乾燥・半乾燥地の劣化した草地や農地を回復させることで、土壌の保水能力を高め、砂漠化の進行を抑制します。
- 湿地・オアシスの保全・再生: 貴重な水源である湿地やオアシスは、自然の水質浄化機能を持ち、生物多様性の宝庫でもあります。これらの生態系を保全・再生することは、安定した水源確保に繋がります。
- 伝統的な水管理手法との連携: 地下水路(カナートなど)や集水システムといった乾燥地帯の伝統的な知恵にNbSの考え方を取り入れ、生態系機能を活用したより持続可能なシステムを構築します。
これらのNbSは、単に水を供給するだけでなく、水質改善、洪水・干ばつリスクの低減、生物多様性の保全、地域コミュニティの生計向上といった複数の効果を同時に実現する可能性があります。これは、従来の灰色インフラが単一の目的に特化している場合が多いのとは対照的です。
政策的インパクト:国家戦略への組み込み
乾燥地帯における水資源管理へのNbSの導入は、国家レベルの政策決定にいくつかの重要なインパクトを与えうるものです。
第一に、レジリエンスの強化です。気候変動による極端な気象現象が増加する中で、NbSは洪水や干ばつに対する自然の緩衝材として機能し、インフラの脆弱性を補完します。生態系の健全性は、外部ショックに対する水資源システムの回復力を高めます。
第二に、政策間の統合を促進します。NbSは水資源管理だけでなく、農業、林業、環境保全、国土開発、さらには防災や貧困削減といった多様なセクターに関わります。NbSを水資源政策の中心に据えることは、これらのセクター間の連携を強化し、より統合的な国家戦略の策定を促します。
第三に、長期的な持続可能性に貢献します。適切に管理されたNbSは、時間とともに効果が向上し、維持管理コストも比較的低い場合があります。これは、しばしば大規模な改修や更新が必要となる灰色インフラと比較して、国家財政の長期的な負担を軽減する可能性があります。
第四に、国際的な政策動向との整合性です。持続可能な開発目標(SDGs)、パリ協定といった国際的な枠組みは、生態系保全や気候変動適応策としてNbSの重要性を強調しています。NbSを国家戦略に組み込むことは、これらの国際的な目標達成への貢献を示すことにも繋がります。
経済性:コストとベネフィットの評価
NbSの経済性を評価することは、政策決定者にとって不可欠です。初期投資については、大規模なダムや淡水化プラントに比べて低い場合が多いです。植林活動や土地回復プログラムは、比較的低コストで実施可能なものもあります。
運用・維持管理コストも、NbSは一般的に灰色インフラよりも低く抑えられる傾向があります。自然のプロセスを利用するため、エネルギー消費や化学物質の使用が少ないためです。しかし、生態系のモニタリングや地域コミュニティとの連携にかかるコストは考慮する必要があります。
NbSの経済的価値は、単なる水供給量だけでなく、水質改善による処理コスト削減、洪水・干ばつ被害の軽減、生物多様性や炭素貯留といった生態系サービスの価値も総合的に評価する必要があります。近年、これらの生態系サービスの経済的価値を定量化する手法が発展しており、NbSへの投資がもたらす多角的なベネフィットを政策決定者に提示することが重要です。
資金調達においては、従来のインフラ向けファイナンスだけでなく、気候変動適応基金、グリーンボンド、エコシステムサービス支払い(PES)といった新しいメカニズムや、民間セクターとの連携(PPPモデルの応用など)もNbS導入の機会となりえます。
導入における課題と機会
NbSの導入には、いくつかの課題が存在します。科学的な効果の予測や定量化が灰色インフラに比べて難しい場合があること、効果発現までに時間を要すること、土地利用に関する多様な関係者間の調整が必要であること、そして気候変動による生態系自体の脆弱性が挙げられます。
これらの課題に対応するためには、科学的根拠に基づいた適切なNbSの計画・設計、効果的なモニタリング・評価システムの構築、そして土地利用計画との整合性の確保が不可欠です。また、地域住民の理解と参加を促すための社会的な合意形成プロセスも重要となります。
しかし同時に、これらの課題は新たな技術や政策開発の機会でもあります。例えば、リモートセンシングやAIを活用した生態系モニタリング、気候変動予測と連携したNbSの脆弱性評価、生態系サービスの価値を組み込んだ新しい経済モデルの開発などが考えられます。
結論:持続可能な水未来に向けたNbSの役割
乾燥地帯における水資源管理は、ますます複雑化・深刻化しています。持続可能な水未来を築くためには、従来の灰色インフラに加え、生態系の力を活用するNbSを戦略的に組み込んだ、より統合的でレジリエントなアプローチが不可欠です。
政策決定者や戦略策定者は、NbSがもたらす多角的な価値(水供給、水質、防災、生物多様性、気候変動適応・緩和、地域経済など)を正しく評価し、長期的な視点に立って投資判断を行う必要があります。単なる「環境対策」としてではなく、「水資源安全保障」や「国家レジリエンス強化」のための主要なツールとしてNbSを位置づけ、関連法制度の整備、セクター間の連携強化、そして革新的な資金調達メカニズムの活用を進めることが求められます。
NbSの導入は容易ではありませんが、乾燥地帯の厳しい環境下で持続可能な水資源管理を実現するための強力な選択肢となりえます。技術開発、政策イノベーション、そして社会的な合意形成を通じて、自然と共生する新しい水管理のあり方を追求していくことが、乾燥地帯の将来にとって極めて重要であると考えられます。